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「ビフォーアフター」という言葉に思うこと

はてなブログで書き始めたのは、楽しみや習慣として文章を書く場を増やしたいという想いがあったからなので、「今週のお題」にはできるだけ乗っかって毎週書いてみようと思ってきた。

でも、今週のお題ビフォーアフター」を見て、ちょっと考えてしまった。
へ? ビフォーアフター
うーん、そのテーマというかそのワードでは、正直あまり書きたい気がおきないなあ・・・と。

 

たぶん私が引っかかったのは、「ビフォーアフター」という言葉に対してだ。

年末に、年初の自分自身と比べて何が変化したのか、この1年を振り返るみたいなテーマなら書きたいことはいろいろと思い浮かぶ。だけどその内容を「ビフォーアフター」と呼ぶのにはものすごく違和感があるし、抵抗を感じたのだ。


ビフォーアフターという表現は、今も昔も訴求力が高くて人気の手法だと思う。昔はエステなどの広告でよく見かけたし(そういえば数年前に美容医療の広告ではビフォーアフター画像の表示は禁止になったはずだ)、今はSNSでビフォアフ画像の投稿がバズっているのをしょっちゅう見る。

ダイエットで、あるいはエステで、はたまたトレーニングで「こんなに痩せました」
美容整形で、あのコスメで、このメイクテクニックで「こんなにきれいになりました」
髪型を変えて、ファッションコーデを変えて「こんなに垢抜けました」

アフターだけ見れば「ふーん」ぐらいのインパクトの画像でも、ビフォーと並べて変化を見せることで「おお、すごいね!」となる。

まるでビフォーとアフターの間に、一瞬で劇的な変化をもたらす特別な魔法があるかのように感じさせる。その魔法を使えば、誰でも一瞬で、見違えるように変わることができるのではないかと思わせる。

そんな演出表現として見るなら面白いし、実際のところ私だって、「詐欺メイク」動画だとか「変身企画」のようなコンテンツを楽しんで観ていることだって多い。

それでも、自分自身の変化をそんなテンプレ的な演出手法に当てはめたいとは、まったく思えないんだよなあ。

 

そもそも、現状(アフター)を認めるために、過去(ビフォー)をサゲる必要がある?


「今」はどんどん過去になっていくんだし、輝かしい「アフター」として見せた状態だってまだまだ変化していくはずだ。

ダイエットに成功したって、またリバウンドすることもあるかもしれない。
こんなに肌がきれいになったと思っても、また肌荒れすることだってあるはず。
最先端のファッションや髪型は、トレンドが変われば時代遅れなものになるだろう。

だとしたら、「今」の一点を輝かしいものとして切り出して、その輝きを引き立たせるために「過去」の一点を比較対象として切り出して並べて見せるだなんてあんまり意味ないよなあと感じるのだ。

「意味なんてなくても面白いからやる」というのは、もちろんありだと思う。だけど私は自分の変化に対してその表現方法はまったくピンと来ないなと思ったという話だ。

だって私は、イケイケなときの自分も、ダメなときの自分も大事だから。
上ったり下ったりしながら、ゆるやかに変化し続けていくのが楽しいと思っているから、ね。

 

今週のお題ビフォーアフター