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気づけばFEエンゲージのことしか書いてない。

救いなき世界で王となる

前回エントリの続き。

邪スタルークくんが必殺を出すときに言うセリフが「僕が殺します!」なのは、もはや彼には守るべき人が誰もいないから「守るために戦う」ではなく「殺すために戦う」だけになってしまったのだろう、みたいなことを前回は書いた。

だけど、守るべきものが何もなくなった世界で、どうして邪スタルークは、兄を殺してまで王になりたいのか今ひとつ理解できないと思った。王になって何をしようというのか。

そこらへん含め、もう少し考えてみる。


本編と鏡写しの邪竜の章の世界。本編でスタルークが持っていた「気が弱く後ろ向きで決断力がない」みたいな性質は、邪竜の章世界ではディアマンドの持つ性質となっているらしい。兄弟の特性も反転ということなんだろう。

どんなタイミングでこの世界の兄弟の性質が反転したのか、あるいは最初からなのかわからないけれど、おそらくかつては本編のブロディア兄弟と同じように、互いに認め合っていたと思う。本編のディアマンドが弟を心配したり助言したりすることはあっても、決して見下したり軽んじたりしないように。

だけど神竜様を喪った後の世界では、邪スタルークくんは兄を見下し、王として認めず、自分が王になろうと考えているらしい。…一体、なんのために?

…よくわからないんだよな。たしかに兄弟仲がギスギスしてるらしき会話はするものの、なんだかんだ行動を共にしてるわけで。兄を暗殺しようと思ってる弟と、それに感づいてる兄が共闘なんてできる?

戦いに敗れ腕輪を奪われることとなり、兄が撤退を決めると、弟は一度は異を唱えたものの、策を示せと言われるやあっさりと引き下がる。自分が王になるつもりなのに?


まあ、ここらへん全部、異形兵にされた時点で誇りを失い騎士道を忘れ、以前とはまったく別の人格になり、もうまともな思考ができていないから、ということなのかもしれないけど…。

最後の戦闘前には、
「僕が死んでいる…? 聡明な、次期国王の僕が? そんな、ありえない。でも、あなたが誰だか、もう…」
とか言ってて、このときにはもう本当にまともじゃなくなってることは明らかだし。

その戦闘後、邪スタルークは死ぬ間際に、
「…兄上、良い弟でなくて…ごめんなさい…」
と言い残す。
最期に謝るぐらいには、本当は兄上にとって良い弟でいたかったのではないだろうか。どこかの時点で、あえて「良い弟」でなくなることを選んだ理由があるのでは?


3章の戦闘で、本編世界から来たシトリニカに、邪スタルークが語る言葉。

「シトリニカ…? ああ、守れなかった君の姿を見るのは辛いです。家族同然であった大公家の皆も亡くなって…その度に、僕は…」

「命ばかりは、お金を積んでも何ともなりません。こんなに何度も苦しむのなら…僕があの時死ねばよかった。皆に、シトリニカに、生きていて欲しかった…!」

 

かつては身を挺してでも大切な人たちを「僕が守ります!」と思っていた。
だけどそんな思いとは裏腹に、守りたかった人たちはみんな死んでしまった。

何度も何度も大切な人を喪う苦しみを味わい、そのたびに守れなかった自分の無力さをかみしめた。

そうして生き延びた先の世界は、国同士が互いに牽制しあう一触即発の冷たい世界だ。かつて共に戦った仲間たちの心はバラバラになり果て、憎しみ合う。皆の気持ちを一つにまとめ導いてくれる神竜様はこの世界にはもういない。未来に希望を見つけることができない。

こうなってしまった今にして思えば、「大切な人たちを守って自分が死ぬ」よりも、「大切な人たちが死んで、守られた自分が生き延びる」方が、よほどつらいことだった。

守るべき大切な人たちがいなくなった世界、未来に希望をまったく見いだせない世界で、誇りを失い空しく生き続けなければならないのは、死ぬよりずっと悲惨だ――僕も、こんな世に王という立場を背負い、迷い苦しみ続けている兄上も。あるいはかつて仲間として共に戦い、交流した他国の王族たちも。

 

ならば、救いのないこの世界で最後まで生き残る一番つらい役目は、やはり僕が引き受けましょう。

「僕が兄上を、生き残ってしまった皆を、殺して差し上げます」

 

……半ばおかしくなってしまった頭で、邪スタルークくんはそんな風に考えたのではないだろうか。

「僕が殺します!」は「僕が守ります!」とまったく同じ発想の裏返し。自分以外の人を救えるのなら、自分が犠牲となるのも厭わない――死が救いとなる世界なら、僕が生き残ってみんなを殺そう――かつてたしかにスタルークだった何かならば、そんな狂い方がしっくりくるような気がする。

自分が王となることに意味を求めたのではなく、意味があると信じた先にあるのが「自ら生き残って王となる未来」だったのではないだろうか。

 

そんなことを、考えてみたりした。

死が救いをもたらすと信じているなら、死の間際、自分を討ち取った相手に「ありがとう…」と告げる意味もわかる。だけど、どんな理由にせよ兄を謀殺しようとするなど「良い弟」の行いではないことも理解していたんだろう。

 

単なる思いつきの妄想だし、説明がつかないこともたくさんある。でも、なんていうかそんな感じなら、いろいろと納得いくなあ…なんて思ったんだ。

 

marie.hatenadiary.jp

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